ま、近頃はあまりオリンピック道路なんて
言わない気はしますけどね。
1964年のオリンピックにあわせて、
一般道もいろいろ整備、拡幅、立体化されたようです。
調べてみると、
青山通り、玉川通り、環七、目白通り、笹目通りなどが整備されたみたいですね。
青山通り
歩道橋から見た青山通り。
(起点の三宅坂から渋谷駅東口の明治通りの交点まで)
オリンピックにあわせて道路の拡幅が行われたそうです。江戸時代から大山街道として主要な道路ではあったみたいですが、オリンピック前は都電が走ると車は1車線やっとみたいな幅だったようで、五輪を契機に倍近い40mに拡張されたようです。
http://www.shibuyabunka.com/area.php?id=11
玉川通り
渋谷駅に向かう地下道部分。
上は首都高ですね。
(渋谷駅から二子玉川まで)
こちらは代々木の選手村から駒沢の競技場(現在の駒沢公園)を繋ぐために整備されたようですね。玉電という路面電車も昭和44年まで走っていたようです。
環七
高円寺陸橋
羽田空港~駒沢競技場を結び、戸田漕艇場へのアクセスも考えて大急ぎで整備されたみたいですね。交差点は立体交差が多く信号なしで開通した頃はびゅんびゅん走れたみたいですね。
写真は高円寺陸橋。私はこの下をよく走っているのですが、もうできて半世紀近く経っていると思うと、こういう橋って立派だなあと思いますね。
目白通り・笹目通り
写真は笹目通り側を谷原交差点から見たところです。
都心部の後楽園から埼玉の競技場に向けてのアクセスや五輪の選手村をキャンプ・ドレイク(現在の自衛隊体育学校や和光樹林公園)に設ける計画もあり、戸田のボートレース場に向かう笹目通りとあわせて整備された。
他にも254号バイパス線などもこの時期に建設されたようですね。
その他調べていると、
ま、今みると普通の道路ですけどね。
東所沢方面には正式に「オリンピック道路」という名前の道路があるようなので見てきました。
これは、この地にクレー射撃場の競技場があったためにオリンピック道路として整備された模様です。現在は何もない農地のような場所なんですが、実際はどこが競技場だったんでしょうねえ。。。
道路も普通の道路でしたが、ここに来るのはどうやって来たんだろうか、、。
なお、記念碑が建っていたのでそれは記念碑のセクションで紹介しておきます。
ところざわウォーク4